2章 2-2 エジソンとリュミエール

2-2 エジソンとリュミエール

今週もすてきな映画に出逢いましたか?
こんにちは、うめちゃん先生です。


わたしは映画館が大好きすぎて、大学院生のときにパリで映画館の研究をしていました。


今回のコラムは、映画の歴史の基礎知識である「2章 映画のはじまり」から、映画の父と呼ばれるエジソンとリュミエールの話をしていきます。


エジソンの発明であるキネトスコープ、リュミエール兄弟の発明であるシネマトグラフ。いま私たちが映画を楽しめているのは、まさに彼らの大いなる発明おかげです。

目次

1章 都市に暗闇は必要である
   1-1.映画館と出逢う
   1-2.映画館研究をはじめる
2章 映画のはじまり
   2-1.映画がうまれる前
   2-2.エジソンとリュミエール
   2-3.パリの映画博物館
3章 映画館の移り変わり―パリ市街での変遷をおって
4章 映画の国、フランス!
5章 パリの映画館MAP
6章 映画館の未来を考える

エジソン、キネトスコープを発明

  蓄音機や白熱電球を発明したことで有名なトーマス・エジソン。彼が映画を上映する装置であるキネトスコープを発明したことはご存知でしたか?

 1891年、動画の撮影と再生システムを研究していた44歳のエジソンは、覗き込み式の箱形上映装置であるキネトスコープを発明します。

 キネトスコープに使われたフィルムは、50フィート(約16m)の35mmフィルムでした。これが1秒間に46コマという高速で流れていくことで、連続撮影した写真をあたかも動いているかのように見せることに成功したのです。

 収められたフィルムは1周するようにつながれており、1周するとまた繰り返し同じ映像が流れます。キネトスコープ1台で楽しめる作品の長さは、長くても約1分が限界でした。


それでも曲芸をする熊や、踊る女性、ボクシングの試合、マジックショーなどのショートフィルムが多く作られました。

覗き込み式にこだわったエジソン

 エジソンの助手であったディクソン(キネトスコープはほぼディクソンの発明です)は、キネトグラフを改良し、映写できるシステムも開発していましたが、エジソンはあくまで1人で映画を楽しめる「覗き込み式」にこだわりました。


 当時アメリカで覗き穴式の興業(ピープショー)が流行していたため、1人ずつ観る方が長期間飽きられずに興業できるため、他の上映装置との差別化を図ったため、など理由はさまざまあったようです。


 その中には、光量や画面のちらつきが、拡大投影できるだけの精度に達していなかったという技術的な不安も。


暗い箱を覗き込む形式にすることで、自然光を強制的に遮り、個人サイズの画面をみることで、上映環境を安定させていたようです。

キネトスコープパーラー

1894年頃のサンフランシスコのキネトスコープパーラー

 
 1893年ニューヨークのブロードウェイにキネトスコープの興業館であるキネトスコープパーラーが誕生します。複数台のキネトスコープが設置された店内では、お客さんたちが順番に並び、キネトスコープを覗き込んで映画を楽しみました。


 そんなキネトスコープパーラーは瞬く間に話題を呼び、約2年後には、アメリカ全土、さらにはヨーロッパや日本にまで広がっていきます。


 25セントコインを投入する形式から、入場料形式までさまざまな興業スタイルで独自のパーラーが運営されていたようです。なかには、ボクシングの試合などスポーツ作品を専門に上映をするパーラーもあったとか。次第にショートフィルムだけでなく、10台のキネトスコープを移動しながら観ることで、10分ほどの作品を上映をするパーラーも生まれていきました。


 しかしながら、キネトスコープの流行はそんなに長くは続きませんでした。上映形式は、その後リュミエール兄弟のシネマトグラフなどの映写式に移り変わっていきます。


うめちゃん先生的、キネトスコープのここが面白い

● 作品は“つくりもの”オンリー!

 撮影機であったキネトグラフは1tあったため、スタジオから動かすことができませんでした。そのためほとんどの作品が、スタジオ内部で演技指導されながらつくられた“つくりもの”でした。

● 超個人的試聴方法

 キネトスコープはあくまで覗き込む形式だったため、おかげで超個人的に映画を楽しむという、オタク的な楽しみ方ができました。スマホで映像を楽しむ現在の試聴方法にも通じるような感覚です。

● 実はイヤホン付きキネトスコープも

 更にエジソンは、イヤホンで音を聞きながら映画を楽しむキネトフォンも発明しています。さすが蓄音機を発明したエジソンです。しかしながら、キネトフォンは、映像と音が徐々にズレたり、音量が小さかったために想定よりもヒットしませんでした。
 それでも、イヤホンつけて映画を楽しむなんて、まさに現代っ子の姿じゃないですか。


リュミエール兄弟、シネマトグラフ発明

 同じ頃ヨーロッパでも同時多発的に映画装置の研究がおこなわれていました。

 兄オーギュストと弟ルイによるリュミエール兄弟は、フランスのリヨンで写真乾板工場を営んでいました。1894年、彼らの父がパリでキネトスコープを体験し、兄弟に映画の研究を勧めたことがきっかけで、彼らはキネトスコープの改良に着手します。

 映写式としての不安要素を見事に解決した二人はその後、1台で撮影も映写もプリントも可能なシネマトグラフを発明します。写真業を営んでいたことが、プリント機能というアイデアに繋がりました。

 開発しながら試写を繰り返し、徐々に精度を高めていったシネマトグラフ。兄弟は本格的な発表を1895年12月28日に定め、上映作品の撮影も同時並行でおこないました。







パリでの最初の上映会

 そして迎えた1895年12月28日。パリのグラン・カフェ地階のサロン・ナンディアンで、シネマトグラフ初の有料公開がおこなわれました。当時の興業界、広告界の著名人たちが集められた暗い部屋の中、いよいよ兄弟が撮影した「工場の出口」などの10本ほどの作品が上映されたのです。


 なかでも「ラ・シオタ駅への列車の到着」の上映中には、列車が本当に飛びだしてくる思い失神した観客がいたと伝えられるほど、兄弟の作品は臨場感に溢れていました。


こうして兄弟初の有料公開は、大喝采の中で幕を閉じ、シネマトグラフという発明が一気に世界中に知れ渡ることになるのです。


うめちゃん先生的シネマトグラフのここが面白い

● 抜群の機動力

 なんといっても、シネマトグラフは1台で撮影も映写もプリントも可能な上、持ち運びもできるという抜群の機動力を持っていたため、屋外撮影が可能という圧倒的な利点を持っていました。つくりものではない“生”の生活を記録することができたため、シネマトグラフは娯楽作品だけではない、記録映画や報道としての役割も担っていくことになります。

● 世界中にカメラマンを派遣

 兄弟はシネマトグラフを発明後、リュミエール協会を設立し、技師たちを世界中へと派遣します。そうして派遣された技師たちは、欧米だけではなく、アジアやアフリカの暮らしぶりをありのままに撮影しました。
 日本で撮影されたフィルムも多く残っています。着物姿のこどもたちが道ばたで遊ぶ姿や、ふんどし姿で農作業をする男性など。撮影した技師にとって、目新しい光景に映ったのでしょうか。
 欧米の人たちはこうして、それまでは文章や写真のみでしか知る由のなかった異国の生活を、初めて動いている姿として目前に見ることができ、あたかも自分自身が、世界旅行をしているような気分になれたのです。
 そうして残された数々のフィルムは今なお、当時の市井のひとびとの生活を映し出す貴重な資料として大きな意味を持っています。

日本公開時のポスター
協会に撮影された農作業する日本人


● リュミエール…の意味

 リュミエール兄弟の名前って、日本語で訳したら「光」になるんですよね。映画を発明するのに、こんなに素敵な名前ってあるんでしょうか。映画の上映ってまさしく光がスクリーンにあたることで行われるわけで。これって本当に運命的な発明だと、ついつい思ってしまいます。


リュミエール博物館

 兄弟が映画を発明したリヨンにある生家は、映画発祥の地として、多くの映画ファンが訪れる博物館となりました。“最初の映画” 通り(rue du premier film)と名付けられた通り沿いの塀には、博物館を訪れた映画界の著名人たちのプレートが飾られています。広大な庭の中にたつ豪邸には、兄弟の発明はもちろん、当時撮影されたフィルムなど映画に関する資料が展示されています。

訪問した映画人たちのプレート飾られた博物館の塀
知ってる監督の名前をみつけると嬉しい。


 博物館の向かいにはリュミエール協会があり、「工場の出口」が撮影された写真乾板工場が当時の骨組みを残したまま使われています。撮影当時、シネマトグラフを設置した位置もわかるように展示されているので、当時に思いを馳せて記念写真を撮ってみるのはいかがでしょうか?

「工場の出口」が撮影された工場跡地に建つリュミエール協会
舗装に埋め込まれた照明が、撮影した位置を教えてくれます。
当時の骨組みが残る内装に、胸が熱くなるのは言うまでもありません。

映画「LUMIÈRE!リュミエール!」

映画『リュミエール!』予告編 10月28日(土)公開

あのマーティン・スコセッシも絶賛!「映画の父」リュミエール兄弟の世紀の偉業が現代に蘇る! 多くの演出、撮影技術、撮影機材を開発したリュミエール兄弟の功績を称え、『工場の出口』『ラ・シオタ駅への列車の到着』など110以上の傑作が新たに修復され蘇る。そう、映画はここから始まった―。「映画の父」へオマージュを捧げるドキ…

兄弟の残した作品のうち、108本をカンヌ国際映画祭総代表であり、リュミエール研究所のディレクターをつとめるフレモーが選出。4Kデジタルで修復された映像を、フレモー自らが解説してくれています。


ぜひ、映画の初期における、彼らの功績を目撃してください。

次回予告

そんな数々の発明品の積み重ねにより誕生した映画。次回のコラムでは2章で紹介してきた様々な発明品を直に観れる映画博物館、パリにある「シネマテーク・フランセーズ」についてご紹介します。

大学院生時代にパリに留学。 パリにある映画館を全館(2013年当時84館)まわり、研究論文を提出。 福岡映画部第一回イベントにて、トークゲストを務めた後、映画部に所属。 よく観るジャンルは、ヨーロッパの日常を描いたもの。
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